原動力の正体
おはようございます!嵐大コーチです!
おはようございますで始めるブログは初めてな気がします!笑
気づけば2025年も終わりが近づいてきました。
ちょうど1年前、ブログに「何のために」という問いを書きました。
自分は何のために努力するのか。
なぜ続けるのか。
その答えを探しながら、この1年走ってきました。
ずっと僕は、「誰かのために頑張る」という気持ちを大切にしてきました。
子どもたちのために。選手たちの未来のために。
関わる人の人生が少しでも良い方向へ進むように。
その想いは今も変わりません。
でも今年は、それだけでは足りないことに気づきました。
むしろ、違う種類のエネルギーが、自分を動かしていたんです。
それは、自分の「原動力」の正体でした。
最近、自分のために行動したことが結果的に誰かのためになった瞬間が、一番嬉しくて、一番面白いことだと感じるようになりました。
「やりたいからやる」
「知りたいから学ぶ」
「上手くなりたいから努力する」
こういう理由なんていらないほど心が動く瞬間に、自分の行動力と集中力は一気に跳ね上がる。その感覚に気づけたことは、今年の大きな成長でした。
そして今年は、自分の中にある綺麗じゃない感情にも向き合いました。
悔しさ、負けたくない気持ち、反発心。
そういった感情すら、自分を前に押し出す原動力になる。こうした感情を否定せず、「これも自分なんだ」と受け入れることで、行動する意味がより深くなっていきました。
そこからもう一つ大きな変化が生まれました。
「自分がやりたいこと」と
「誰かのためになること」
この2つが交わる場所はどこなのか。
それを考えて行動するようになりました。
人が求めていることに答えていくことがもちろん必要です。だからこそ、ただ好きなようにやるだけではなく、それが価値として誰かに届く形を探す。
その答えが見えた瞬間、努力は義務でも使命でもなく、
喜びになりました。
だからこそ、この一年、もう一つ強く感じたことを来年は大事にしたいです。
「出る杭は打たれる。」
その言葉の意味を、実感する場面が何度もありました。
挑戦すれば、意見される。
本気を見せれば、面倒だと思われる。
前に出れば、否定される。
でも、あるとき別の言葉に出会いました。
「出すぎた杭は、打たれない。むしろ、見上げられる。」
その言葉を知ってから変わりました。
打たれるのは、まだ届いていない証拠。
理解されないのは、まだ形になっていない証明。
笑われるのは、まだ結果が足りないから。
そう思えた瞬間、迷いも焦りも静かに消えていきました。
だから僕は何度打たれても、挑戦をやめません。
出る杭で終わらず、出すぎた杭になるために。
そしてその姿が、挑戦しようとしている誰かの背中を押す存在になれるように。
2026年まであと1ヶ月。
2025年やりきろう!